2008-03-26

自転車ナンパ

 普通のナンパはうまく運んだ試しはないが、自転車ナンパとなるとその打率は100割にも跳ね上がる。しぇんぱーしぇんとだ。ウォーと気分のアガる自転車を見るとつい声を掛けてしまうのは取材仕事を繰り返してきた習性なのか、ここで会ったが運のツキ、ツイてるのはオレの方なのだが、お願いだからあなたの自転車見せてくださいと熱烈アタック。週刊誌企画の『あなたのおっぱい見せてください』的な。あれはほんとにヤラセじゃなかったのか。

 昨日のナンパはすごかった。


《ファットチャンス》だ。'90年代最高のマウンテンバイクフレームと(オレに勝手に)言われ、その存在を知る人はのどから手が出るほど欲しかったフレームだ。びよーん。1977年、クリス・チャンス氏の手によって作られ、ふと目を離したスキになくなってしまっていた。これを取り扱っていたA&Fのカタログで、かのクリントンさん(葉巻の方)も誇らしげに乗っていたのを見た。

 さて桜さく並木の下でナンパしたこの《ファットチャンス》は、まさにイメージそのままのカラーリング。<ヨー エディ>のチームモデルだと思うんだけど、10年以上経つのにその蛍光色はいまだ健在。だがこいつの一番のチャームポイント、実はBBとヘッドチューブの内側だ。一度だけ新品フレームのそのへんを見たことあるのだが、びっくりした。ピカピカのつるつるなのである。美しいのである。こういった表に出ない箇所は通常、サビだったりバリだったり適当に放置されることが多いのだが、そいつはまるで磨き上げられたかのように、滑らかな内側だった。今になって調べれば『シームド溶接』とかいうらしいが、こういうものこそが、高級フレームなんだなあと感動した覚えがある。

 そんな話をすると、オーナーの方も喜んでくれて、いろんな想いのたけを伝えてくれた。「当時のパーツで組もうと思ってね」7速XTを探したんだけど見つからず、仕方なくその少し後に発売された8速XTRを見つけ、渋々ガマンしてるとか。その流れるようなデザインといぶし銀の美しさが今なお評判の初代900系XTRなのに、それでガマンなんて人には初めて会った。

 グリップは、ジョニーTことトン・ジョマックがパッケージを飾っていたODIのマッシュルーム。当時感バリバリの蛍光イエローで、今どきファッションバイカーにはできれば内緒にしたい銘モデル。ピンクとかパープルもあった気がする。濡れると滑るが、素手でのニュルとした握り心地はいまだ忘れない。リムにアラヤRM-17、サドルにアボセット、シートピラーにはサカエと当時のスタンダードそのままな組み具合に、オールドスクール・オフロードライダーたちはいろんな思い出をフラッシュバックさせるに違いない。

 オーナー的に納得できない部分がもう一つあって、みなさんもちろんお気づきだろうが、クラインのミッションコントロールである。ヤナギも使って勝ちまくってたこのハンドル一体ステムは当然ノーマル(!)サイズの1インチコラム。「モンキーで作ってた、ダイレクトクランプのピンク色のステムを付けたいんだけどね」。今どきあのフォークコラム・ダイレクトステムを知ってる人もなかなかいない。

 では試乗だ。ほぼ街乗りだけなのでタイヤは細身だが、それなのに下のレンガ畳の振動は伝わって来ない。というより、フレームが滑らかに吸収しているというイメージだ。ニュルーンとスルーンと前へ出る。倒すととても素直に曲がる。ミッションコントロールのステム長は今にしてみりゃ長い(ヤナギはよくこれで勝ってたな)ので短いのにしたくなるが、ハンドルに頼らず乗れば、カラダの下でバイクは右へ左へ思うがまま。長年の夢が昨日、ついに叶った。

 かたくなに独自の道を歩んできた《ファットチャンス》は、モノの質よりカネの量を好むシステムに負けた。その後、そのあり方としての願いをブランド名にこめた《インディペンデント》を設立したのは有名な話だ。しかし、オレの心を震わせた、あの美しいBBワークは、既に過去のものになってしまっていると聞く。実に残念である。まったく緑ってヤツは。

2008-03-23

GORE-TEX


 傘がきらいだ。きらいなので、これぐらい雨が降らなければさしたくない。きゅうりみたいなもんだ。子どもの頃からずっとなんの疑問もなく食べていたのだが、30才を超えたあるときずっとまとわりついていた違和感に気がついた。

 その違和感に気がつくと、なんだかもう食べなくてもいいんじゃないかということにも気がついた。もしきゅうりを食べなかったら死んじゃうのであれば、さらにそれに気がつくまで食べないでいようと思い食べなさ続けて(使い方変だ)いたら、そのうちスイカとかメロンにも違和感があることに気がついた。調べてみたら、きゅうりもスイカもメロンも同じウリ科の緑であることがわかった。ウリがきらいなようである。

 ということで傘がきらいである。傘もまさかウリ科かとずいぶん悩んで時間を無駄にしたが、こっちはどうやら傘をさすと動きづらくなってしまうから、という理由のようだ。昔は雨が降るとなんの疑問もなく傘をさしてペダルを漕いでいたものだが、そのうち傘ささずにペダルを漕いだ方が100倍近く走りやすいと言うことに気がつき、自転車に乗っていないときでも、あまり傘をささなくなってしまった。

 雨にぬれるのは、そんなに悪いことでもない。確かに服がずぶぬれになるとそのあといろいろと面倒なことになるが、ずぶぬれがきらいかというとそんなでもなく、むしろずぶぬれになって雨の中で無敵になるのは好きである。

 水まみれになって(これも変だ)泥まみれになってグチャグチャになるのは子どもの頃から得意でよく周りに嫌がられた。ダウンヒルレースでも泥になればなるほど速くなって、ついには表彰台に上ってしまってもいる。陸上よりも水中の方が居心地がいい。海にかこまれた南の島に住んでいた頃は、陸の上では必ず負けたケンカも、水の中に持ち込めば雪辱を果たせたものだった。いまでも死ぬまで泳げと言われたら、たぶん寿命つきるまで泳ぎ続けていることだろう。だから雨もそんなにきらいじゃないのかもしれないが、ほんとのところはわからない。

 こころの奥底で傘がきらいだったせいか、アウターウェアは知らず知らず防水素材のものを選びがちだった。自転車というよりマウンテンバイクを教えてくれた師匠筋に、GORE-TEXという高級な雨具があることを教えてもらってから、自転車とヘルメットとグローブの次に買った自転車用具はGORE-TEXの雨具だった。師匠が経営してたお店でバイトして貯めた金で買って、買ったらバイトはバッくれた。あの時のことは今でも師匠、すいません。

 スノーボードを始めてからも、とにかくGORE-TEXが着たかった。当時もやっぱり金がなく、ひろいもんにもらいもんのウェアを着続けていたが、自分の金で初めて買った新品ウェアはGORE-TEXのヤツだった。こいつがまたよくできたもんで、もう8年近くになるのにいまだに毎日のように着続けている。ボクに会った人がよく見るあの例によって濃い緑のウェアは、そいつである。残念ながらスノーボードは膝のじん帯をゆわしてしまったことで終わってしまった。

食う寝る遊ぶ


おもしろい人に会った。
おもしろいことを言っていた。

自転車で旅するその人は、
30kgある重い荷物を、
服から捨てたと言っていた。

減ったかわりに増えたのは、
釣り竿と、底のブ厚い圧力鍋と
アロマの香る、大きな枕。

走り続けて身軽になったら、
食う寝る遊ぶが残っていた。

なにを捨てればいいんだろう。
なにを持てればいいんだろう。

2008-03-22

仲間

仲間が新しいことをやっている。

仲間が楽しいことをやっている。

ぼくにはなんにもないけれど
ぼくにはなんにもできないけれど

ぼくにはそんな仲間に
楽しませてもらうしかできないけれど、

仲間が正しいことをやっている。

2008-03-21

GORE-TEX

傘がきらいなんだ
傘がほんときらいなんだ
きゅうりと同じなんだ。

傘がきらいなんだ
傘がほんときらいなんだ
動けないしさ。

雨はきらいじゃないんだ
雨はそんなきらいじゃないんだ
なんでなんだろう。

傘がきらいなんだ
傘がほんときらいなんだ
だからGORE-TEX着るんだ。

2008-03-18

魂の叫び

マウンテンバイクの世界シーンを日本に伝えたい、
と思い立ち、日本を飛び出したのが1995年。


ヨーロッパを手始めに、アメリカ、アフリカなど
ワールドカップの開催される場所へと転々放浪。
バックパックにコンピュータとデジカメとカプラー
(電話受話器を当てて、最高2400bpsで通信する
アナログネットワーキングな機械)を押し込んで、
誰も望んではいなかった、世界MTBレースシーンの
本当のところを、ネットワークに流し続けました。

こういうとエラそうですが、
10年以上前にやっていたことが簡単にできるように
技術やインフラ、社会通念が追いついてきたとしても、
それをする莫迦なヒトは増えないんだなというのが印象。

今と変わらず貧乏で、
当時は独りで動いていたものですから、
行く先々で、いろんな方に
飯を食わせてもらいました。

シアトルをベースにした
SideTrakという、マウンテンバイク関連のブランドがあります。
このオーナー、あまり知られていませんが日本の方で、
当時から、ネットワークに文章を残しています。
95年に(も)金がなくなって、どうしようもなくなって、
訪問した際、とてもおいしい寿司(中華だったかな?)
を食べさせてもらいました。

90年代中盤のネットワークにあった日本語文というのは、
今のような営業のツールではなく
ましてや日本語練習帖であるわけもなく、
魂の叫びが主なものだったと記憶しています。

伝えなくてはいけないと思うことがあるから
書く。

サイドトラック小野沢さんの文章には
今読んでも、伝えなくてはならないと
ボクでも思うことが記載されています。

http://www.sidetrak.com/Japanese/shoji4.html

2008-03-15

年下の男の子


結婚してからというもの
かわいい女の子に興味を持つと
いろいろ弊害があるので、
最近はもっぱら
かわいい男の子に興味がある。
数年前にガンと診断されて睾丸を一つ摘ったのだが、
それも影響しているのだろうか。

近くのコンビニが、最近うれしい。
ここんとこ入った店員くんに
ワイルドで無骨でハンサムな男の子と
王子様みたいにきれいな顔をした男の子がいる。

ちょっとした夜更けにいくと、
この二人がレジに並んでいることがある。
もう迷っちゃう。どっちにしよう。
ワイルドもいいけど、やっぱりきれいめがいいかもー。
とか悩んでそれでもワイルドくんに行って、
その気っぷのいい対応に快くしてみたり。

この辺、女子学生が四六時中うようよしている
地域でもあるので、たぶん彼女たちは
同じように迷ってるんじゃないかと思う。
しかも二人のかわいい店員は、自分たちが
モテるってことを自覚してる感じだし、
一人や二人は手をつけられてるに違いない。
オレならそうする。三人や四人。

かわいい女の子にしか興味のないカアチャンに、
 (愛しのツォーに貼ってある女の子の裸ポスターは、
  すべてカアチャンの趣味)
時の神が与えたもうた、このコンビニの
女子学生とパパの幸せなひとときを
自慢しちゃおうと思って、喜び勇んで入ったら、

ブチハイエナとイボイノシシみたいな二人が並んでいた。
外は大雨。雷鳴も轟く。
彼らのせいに違いない。

2008-03-14

影と風

例のグリーンゲリラの件です。


ボクが信頼する師匠筋の一人が
実は、もっとすごい親方レベルのゲリラでした。

親方は、ゲリラというより思想家、アイディア家。
どう親方かと言うと、
もし明日から都内にいっさい食料がなくなったとしても
東京都内に生える食べられる植物の場所
菜っ葉とか山芋とかハーブとか
かなりの勢いで知り尽くしているので
たぶん飢えない、しかも季節グルメまで可能なほど、だそう。

ボクや友人のする愉快グリーンゲリラなんて足下にもおよばない
先の先の先を行く、親方だったのでした。

そんなグリーン親方が何年にも渡り培ってきた
都会型のグリーン知識を分けてもらいました。

ムカゴ、って知ってる?
山芋の葉っぱの根元に付く小さな実で
すりおろすとトロロみたいになって
そのままご飯に入れて炊き込んでも
おいしいの。お腹もいっぱいになるの。

このムカゴ、というか山芋という緑は
地面からにょきにょきとものすごい勢いで
ツタを延ばし、いろんなものに絡み付き
天に向かい、横幅を広げて伸びていく。

しかも生命力がものすごい強くて、
秋になってムカゴが地面に落ちると
それだけでまたにょきにょきと次の年に
ツタを伸ばして、盛大に栄える。
なにもしなくても、また盛大に栄える。

親方はそれを、横長のプランターに植えて
日当りのいいベランダの、
半分ぐらいに並べておく。
プランターには、屋根に届くぐらいの
棒を立てておいて。

あとはご察しの通り。
夏になるほどむかごはにょきにょきと
ベランダの柵をつたい、棒をつたって
ベランダの天井まで覆います。

夏になるとそれは、日差しを遮るカーテンになる。
ベランダの半分を覆いつくし、
風通しがよく、外からは見えず、中には光が通り
日差しを遮って風を通して涼しく、
秋にはむかごがたっぷり食べられる。

日本の残虐な夏を乗り切る最大の知恵は、
影と風だとずっと考えています。
ベランダの日差しをさえぎり風を通すカーテンが
天井からすだれを下ろしたり、
背の高いすだれを立てかけたりして
できないかなと考えていました。
でも、すだれ自体が重過ぎて、あるいは
ベランダに金具をつけたりしなくてはならなくて、
お金とか物理的重量とか、挫折要因が多過ぎたのでした。

ムカゴなら大丈夫。
上から下ろすのではなく、下から勝手に伸びていく。
勝手に伸びて、勝手にカーテンになって、
冬になると
すべて枯れ落ち
陽は部屋に暖かく注ぎ込まれる。


今年の夏は、涼しく過ごせそうです。
秋には、お腹いっぱいになりそうです。

2008-03-11

トーキョー・ダウンタウン

東京都にベースを置くようになってまだ3年ほどなので
知らなかったですが、
東京ローカルの方々には、常識だと思うのが、
東京が、世界一大きな都市であること。


どこに行っても、
「トーキョーはどれぐらい大きいんだ?」と聞かれ、
「君の住むこの街より全然でかいよ」と答えると
みんなゲラゲラ笑うのです。
東洋のこんなに小さな国の首都が
オレらのこの街よりでかいわけないじゃん、と。

でも自転車で走ってるから、
距離感がカラダでわかるんだよね。
東京は、でかいね。池袋から渋谷まで行くと、
やっぱりちょっと走ったなって感じしますもん。

東京の皆さま、
トーキョー・ダウンタウンってどこにありますか、
って聞かれて、答えを考えてください。

東京、上野、浅草、池袋、目黒、新宿、渋谷
山手線の主要な駅一つ一つが、海外レベルでいうと立派なダウンタウン。

東京のダウンタウンってどこにありますか、
って聞かれて、まあ山手線の内側ぐらいかな、
って思うのが東京の常識
だとしたら、まあこいつを比べてみてください。

ニューヨークのマンハッタンと東京・山手線を同比率で。
ダウンタウンからアップタウン、ハーレムから自由の女神まで
ズッポリ入ったニューヨーク・ニューヨークと、
東京のちょっとした一部分を。



東京はついにメキシコシティーを抜いて世界一大きな都市。
パリ市なんか、すっぽり山手線内に入ってしまうぐらい小さい小さい。


イギリスの人はロンドンをイギリスじゃないって言うし、
フランスの人はパリを、
スペインの人はバルセロナを、そう言ってるんだけど、

日本ってなにって聞かれたら、東京って言うんじゃないかと思う。
言わない自信、ある?

2008-03-08

世界三大料理

世界三大料理というのがあって
フランス、トルコ、中華料理ってなっている。

しかしこれは、場所で決めたのではないか。
ヨーロッパ、中東、アジア、みたいな。

そのあたりの地域の中で、まあ一番おいしいとこ
挙げときゃいいでしょという、実はそんな決め方
だったのではないでしょうか。

さらにいえば、これは宮廷料理のことなのではと。
当時宮廷料理が必要なぐらいの宮廷があった国は
この三つぐらいしかなくて、
だったらお前、いつの時代の三大料理なんだよと。

日本食ってすごくうまいと思うし、
ソマリア郷土料理のスパゲティもものすごくうまかったぞ。
手で食べたけど。

2008-03-04

自転車ゲリラ


ゲリラ活動を繰り返す友人がいる。
そいつはサボテンを代表とする多肉植物を愛する男。
陽のあたりがよさそうな、例えば電柱の下の土の上に
ぽとりとそのサボテンのかけらを落とすのである。
落とすだけである。

サボテンは、その環境が過酷なほど生命力を増す植物。
水を与えなければ与えないほど、
自らの根っこを延ばして潜り込み、根付いていく。

彼のおかげで、彼の住まい周辺の街のそこここには
見たこともない多肉サボテンがうようよと生えている。
幸運なことに、街行く人々はワンセグとかアフォリエイトとか
そういうのに忙しいためか、気がつかれることもなく、
いつ見てもすくすく成長している。
ボクは彼をグリーンゲリラと呼ぶ。



一方のボクは、自転車ゲリラ活動を繰り返す。
小さなオイルと空気入れを持ち歩き、
空気の抜けてそうな自転車を見つけると、
周囲をきょろきょろと見回し、適正空気圧にまで
勝手に空気を入れちゃうのである。ついでに
チェーンにオイルまで差して、
きれいに汚れを拭き取っちゃうのである。

さて、どれだけの人が気づくかな。
自分の自転車が、
どれだけ走りやすくなってるかってのに
気づくかな。
それとも気づかないかな。
空気を入れて、チェーンオイルを差すだけで、
こんなに気持ちよくなるんだってことに
気づかないかな。
書いてないからかな。

もっと、みんなが自転車って
速くて、遠くまで行けるもんなんだって
気がついてくれるといいんだけど。

そのうちやっぱりつかまるのかなあ。
つかまんなくても済むように、みんな
自分の自転車に空気入れて
オイル差してくれないかなあ。
そうすれば、自転車はもっと楽になるのに。

2008-03-03

バックサイド


(文中一部訂正しました。大変失礼しました)

 イーブル・ニーブルという伝説的なオートバイ・ロングジャンパーがいた。
 バス、並んだクルマやグランドキャニオンなど、いろんなものをオートバイで飛び越し続けた人生を送った彼が、確か言ったと記憶しているのだが、ここで重要なのは、誰が言ったかではなく、何を言ったかである。

『飛び出すだけなら簡単だ。
 問題は、着地しようとするところから始まる』

 ジャンプから安全に着地するためには、『バックサイド』と呼ばれる着地面が必要となる。テキストで説明するとこんな感じ。

 バックサイドのないジャンプ

  → /___↓

 フロントサイド(いわゆるジャンプ面)から飛び出したライダーは、平らな地面へと落ちる。重力、慣性などすべての力は、着地するライダーへ凄まじい力となってのしかかる。一般にこれを『フラット落ち』と言い、よほど運がよくない限りライダーはケガをする。
 
 バックサイドのあるジャンプ

  → /__\ →

 一方、着地面=バックサイドのあるジャンプは、その着地時の凄まじい力が、下り斜面を滑り降りることによって前方向への力へと変換される。ライダーが前に進む限り、着地時の衝撃はライダーにはほとんど伝わらない。そのため、大きなジャンプ、大きな放物線を描いても、ライダーに伝わる着地の衝撃を0にすることも可能となる。

 飛んだまま、生きて還らないつもりならまさに簡単。しかし、生き続けることとは、我々の生きる目的そのものである。
 来世へ飛び出していこうとするあなたを、現世に引き戻してくれるのがバックサイド、着地面なのである。すなわち、ジャンプの本質は、飛び面ではなく着地面にある。飛び面ばかりを気にするのは、よっぽどのプロか、あるいはズブの死ロートだ。

 自転車ライドにおけるバックサイドという概念が、初めて日本に入ってきたのは1986年。カリフォルニアに移住した自転車通・下村タクミ氏が、当時世田谷にあったプロショップに送りつけてきた数通の手紙レポートがそれだ。

『バックサイドがないジャンプはもはやジャンプではない』という、昔から相変わらずのロジカルでラディカルな最新情報は、その店に出入りしていたBMXライダーたちに衝撃を与える。

 が、当時の『常識』は飛び面だけのジャンプ。情報は頭にはあるものの、バックサイドを体感したことのない彼らは、やはり飛び面をつくり飛び出すことだけに専念していた。その『常識』が過去のものとなるまでには、もう少し時間が必要だった。

 今や日本におけるBMXレジェンドとして賞賛される、通称サルくんというライダーがいる。1988年、彼がその下村氏の情報をもとに、アメリカのジャンプトレール(ジャンプのみを目的としたジャンプの遊び場だ)をめぐり、バックサイドという概念を頭だけでなくカラダでとらえてきた。帰国したサルくんは同年12月、友人であるオオタキくんとタコスと共に、世田谷某所の有名な公園のなかに、日本初となるバックサイドのあるジャンプトレールを掘り始める。

 それが今ある自転車のダートジャンプ文化の幕開けだ。もちろんその日本初のジャンプトレールは、有名公園の中にあったためすぐに撤去されたが、その後、河原という都心でも比較的大きな空き地(放地)を点々とし、少しづつバックサイドという概念を日本に広めていく。そしてダートジャンプトレールは、今の形へと進化していった。



 その頃から今に至るまで、BMXというより自転車でのダートジャンプの最新の情報を、そして図太い真実のみを追究している男がいる。サルくんと共に日本史上初のダートジャンプトレールを掘り作ったタコスである。始めはBMXレーサーとして、後にBMXジャーナリストとして、同人誌や自転車専門誌やオートバイ専門誌などの媒体を通して彼のつかんだBMXやダートジャンプの最新の真実を伝え続けてきた。

 現在の彼は、彼の人生とカラダと魂を費やし、彼のホームトレールを『これから必要とされる』方向へと、育て続けている。それは『おれうまく飛べるから、こんなのでも飛べるぜー』という自己顕示のための、難しいものではない。

 BMXに30年を費やしてきた、齢44マグナム才のBMXバカ一代がいまだに萎えることなく掘り起こすのは、これから自分たちオサーンが無駄なケガをせず、そしてそこにくる未来ある子供たちにも無駄なケガをさせることもない、ダートジャンプトレール。

 彼は言う。
「十分な幅を持たせ、均一になめらかに仕上げ、
 進入スピードに見合ったR、
 それに適した位置にバックサイドを配置するなどで、
 無駄なリスクを減らせる。
 
 また日本人は勤勉な人が多いからか、
 タイトで忙しくシビアなセットのところが多く見受けられる。
 リカバリー可能なゆとりのあるものでいいのでは? と思う。
 そうすれば、リスクは大きく減る。
 オレはそれを『ゆとり教育』と呼んでる」

 雑誌やビデオに見る表面的な結果ではなく、それを育てた背景、つまり真実とはなんなのか。それをジャンプを愛する全ての人々に知ってもらいたい、カラダで知ってもらいたい。
 タコスはそれを夢見て、千葉県某所のホームトレールでスコップを握る。
 理想のトレールを具現化するため、粘土質で硬い土を少しづつ掘り続けている。



 彼の言う『これからあるべきトレールの方向性』を知りたい方は、ぜひ彼にコンタクトを取って、彼のホームトレールに足を運んでもらいたい。ちょっと意固地で頑固でメンドクサくはあるが、しかし彼の持つ言葉は、BMX、とくにダートジャンプに関してはその大体が真実である。知っている人は知っている。もし知らないのであれば、それはただ、まだ知らない、というだけの話だ。1986年当時となんら変わることはないし、恥じることもない。

 日本におけるダートジャンプの歴史の生き証人である彼の言葉が信じられない限り、これからのダートジャンプには未来はない。
 それが言い過ぎなら。
 無駄なケガをして仕事や人生を変えさせられたりすることは、少なくともボクがダートジャンプを楽しんでいく人生設計の中には、これ以上必要のないことだと考えている。