2008-04-28

4コマ輪行









駅構内を移動する時は、絶対に転がさずに担ぐこと。担いでさえいれば文句出ません。担ぐのが輪行のルールです。

2008-04-27

レイディーズ・ファースト



文化の違い、教育の違い、しつけの違い
と言ってしまえばそれまでだが日本では、
エレベーターや、なにかの入り口ドアで

必ず、かならず
男の人が、女の人よりも先に出る。

女性は、男性の後を歩くもの、という
古き良き風習なのかもしれないけど、

欧米諸国から日本を訪問する女性は、
ここにたいてい驚くよね。
みんなドアにゴチゴチあたまをぶつけたり
男性とドッカン体当たりしたり。

交差点とかでさ、
クルマが必ず
自転車より先にでるのと、
同じなんだね。
2秒アクセル踏むのを遅くすれば
スムーズにものごとが進むのに。

2008-04-25

自由な死



「結局さあ、浩一郎(仮名)さあ」

 と山田さん(たぶん55才)が言う。

「オレはこんなして自転車のグッズ作ってたり
 NPOで自転車通勤応援したりしてるけどさあ、
 最終的になにがしたいかって言うと、
 老人が自転車にちゃんと乗れる社会を作りたいわけよ」

 わかります。

「オレもさあ、もう少しで老人になるんだよ。
 そうなったときにさ、ジイちゃんバアちゃんが
 歩けないっつって、ただウチの中にいるのって
 よくないんだよ」

 ボクもそう思います。

「病院で死ぬと金かかるからさ、ウチで死にたいんだよ。
 政府だってこの間、ウチで死ねばお金かかりません、
 っていう法律を通したじゃん。だからさ、
 やっぱみんながウチで死にたいって
 思い始めてるんじゃないかと思うんだよな」

 そうですよね。

「ウチで死ぬためにはさ、死ぬまできちんと歩けて
 動けて、自由でいるためにはさ、今のうちから
 自転車でも何でもいいから、動き続けていないと
 カラダがボケちゃうんだよ」

 その通りですね。

「気持ちいいじゃん。老人がさ、自転車カッ飛ばしてさ、
 病院なんかで縛り付けられずにさ、
 死ぬまで自由でいれるのって」

2008-04-23

フルサス700C



 とかくフレームの素材がどうしたこうしたと語られる昨今ではあるが、まあアレだね。結局は自転車の走りなんて、ホイール径とタイヤのエアボリュームがおおかたなわけだから、ママチャリ、あるいは26インチ×2インチ程度の小さいホイールしか乗ったことない人が、舗装路バイクに使われる700Cサイズを履けば、羽が生えたかのように感じるのは当たり前。なので、フルサスバイクに700cホイールを履かせれば、これはもう街中じゃ無敵ですよ無敵。

 ジャマするものは段差だろうがゴミだろうが飛び越えるし、タイヤは30Cぐらいと太めだから、路肩のアミアミ側溝も怖くない。フロントサス固めてリアサス柔らかく、後ろが軽くボトムアウトするぐらいにして乗れば、これはもうリア加重のカーヴィングマシン。パウダー・スノーボーディングあるいはサーフィンで後ろを踏みこんでRを作ってグイーンて曲がって伸びるあの感覚を自転車でもどうぞ、てなるわけで、そのくせ、座って漕げば羽が生えるし、危険な時にはディスクブレーキでズバッとジャックナイフして止まる。スキッドして180度なんて止まり方でもオシャレである。

 そんな無敵っぷりを友だちに自慢しながら走ってた矢先にパンクした。しかも銀座のど真ん中、二度も。

 マニュアルして縁石にリアタイヤを当ててその反動で飛んでイエーイ、みたいなことばかりしてた結果が、まったく見事なスネークバイト。自分が700Cタイヤを履いてたことを、パンクしてから思い出す。持ってた予備チューブに交換してヒコヒコ空気を入れ、さあ乗るぞとホイールをフレームに戻したとたんズバン! バーストした。

 チューブがタイヤにかみ込んだまま空気を入れちまったようだ。まさに初歩中初歩のミス。生涯2度目のバーストだ。初めてのバーストのときもそうだった。友だちのパンクを直してあげて、ほらスゲエだろとエバった瞬間に爆発した。都心繁華街近くの住宅地だったため、ご近所中に窓からのぞかれた。ビデオ持ってでてきたヤツもいた。

 予備チューブはあっても、パンク修理キットはない。ライディングをなめてかかると、こうなるのだ。備えよ常に。現場が銀座東急ハンズの近くであったことにちょびっと感謝しながら、銀座マロニエゲートのオープンと同時にハンズに突撃。その日最初のお客さんとなって、パナレーサーのイージーパッチ・キットを買う。これは張るだけのパッチだから、持ち歩きもジャマにならないし手軽でいいんだよね。

 銀座オシャレゲートのバックストリートに座り込み、スネークバイトの修理を始める。パッチを張って、タイヤに入れて。バーストした方のチューブは、さっきまで新品だったのに、縦にすっぱり裂けてしまっておだぶつだ。なまんだぶ。

 派手なカスクに真っ赤なグローブというあからさまに自転車な男が、なんだかよくわかんない自転車のそばに座り、パンクを直しているという銀座ど真ん中午前中の光景。これはもう写真に撮ったらいい絵になるだろうに、と被写体気分で作業を進めるのだが、午前11時の銀座はそんなのまったく興味なし。とか考えてる間に、滞りなく作業は終わる。名作写真の被写体になり損ねた男、それでも懲りずに縁石ジャンプを繰り返し、銀座を去る。

2008-04-14

阪本“GAN”章史インタビュー/ブートレグ



 先の週末は<Rin Project>の山田さんと2人、『東海道中輪栗毛』(とうかいどうちゅう・Rinくりげ)なるプロジェクトをついにスタート。お江戸日本橋から走り始め、箱根の山を越えて静岡にたどり着いたところで、第一部を終えました。名付けて『感動の関東脱出篇』。感動的でした。この模様はそのうちどっかに書こうと思っているので、乞うご期待。第二部となる『怒濤の静岡横断篇(仮題)』は、ゴールデンウィーク後ぐらいに実行予定。

 その前の週末は、スポーツグッズメーカー<Nike>のお手伝いをしておりました。《Nike 6.0》というアクションスポーツ用に開発されたシューズがあり、これを履くBMX&MTBライダーが飛ぶエアーショウ『Nike 6.0 Ramp Gig '08』というイベントが、いわゆる春の音楽フェスティバル『Punk Spring』と同時開催されていたのです。このRamp Gigの細かなコピー執筆をお手伝いする中で、Nike 6.0が全力でサポートするBMXレーサー、GANこと阪本章史のインタビューを執筆しました。

 本チャンの文章は、公式ウェブに掲載され、またシューズショップ《ABCマート》で配布されているNike 6.0の冊子にも掲載されているので、そこで必ずご確認ください。

 で、インタビューの時、GANはいろんなことを話してくれました。本チャンでは書ききれず、でもこぼれたままにしておくのはもったいないと思った言葉もたくさんありました。そこで、ブートレグとしてGANのインタビューを、つい書きました。Nikeを始めとする関係者各位からも了承いただけましたので、Nike 6.0 ライダー 阪本GAN章史のインタビュー/ブートレグ版を、ここに掲載します。

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阪本 "GAN" 章史
Team: UN AUTHORIZED / NIKE
1982年生まれ。大阪出身。8才でBMXコースを普通の自転車で走り始め、1年後に念願のBMXを手に入れる。その後日本のトップレーサーとして数々の優勝と実績を積み重ねる。2006年、アメリカBMXのトップクラス、ABA/AA Pro(ダブルエープロ)レーサーに昇格、現在はABAレースを中心に戦い続ける。一番好きなワザは360。だがケガを懸念し、ここ数年は封印しているとか。

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阪本『GAN』章史です。BMXのAA Pro(ダブルエー・プロ)レーサーです。AA Proとは、アメリカのBMXレース団体、ABAの最高クラスです。

AA Proになりたいと思ったのは、中学1年の時。オクラホマ州であった『グランドナショナル』というレースで、初めてAA Proの走りを見ました。みんな尋常じゃないぐらいうまくて、速くて、かっこ良くて。自分も必ずAA Proになりたいと、そのとき心に誓いました。

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18才でプロBMXレーサーになりました。日本ではトップレーサーと呼ばれるようになりましたが、いつも心には、アメリカで上位を走りたいということしかありませんでした。トレーニングを重ね自信も年々増してくると『もうAA Proにあがらなければいけない』という気持ちばかりが高まってしまい、2006年、絶対にAA Proになると決めて、ABAレースの転戦を始めました。

AA Proに上がるためには、年間で3000ドルの賞金を稼ぐのが条件です。最初3月のレースでは少しながらも手応えを感じ、5月に出たレースでは、なかなか速いレーサーがそろっていたのに、優勝できたんですね。そのときは調子もよく、2日間で一気に賞金1500ドルくらい稼ぎました。これは行けるぞ、と思いました。

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ところが夏にケガをしました。一旦日本に帰って療養したりもしましたが、調子は伸び悩む一方。そんななか、活動資金も底をついてきた。もう無理か、今年はあきらめよう、と思ったとき、友だちからの助けが舞い込んだ。

AA Proになることを一番応援してくれた友人が中心になって、寄付を集めてくれていたんです。集まったのは、あと一戦だけ出られるぐらいの金額でした。でもその寄付のおかげで出れた次のレースでは2位と4位を獲得。賞金も稼ぎ、次の最終戦に望みを託せることになりました。残すところ、400ドル。

最終戦の初日。これが最後のチャンスなのに、心はとても穏やかでした。「これで最後かー」ぐらいの感じで。そのためか順調に勝ち進み、準決勝にきた。
でもここでむちゃくちゃ緊張してきたんです。「これで失敗したら、これまでが全部無駄になるな」って。いま考えると全然無駄じゃないんですけど、そのときは、全てが終わりだと思った。

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もともと緊張しがちなんです。どんなレースでも心拍はドンドンとうるさいぐらいに上がるので、それを抑えるために必ずピアノ曲『Close to you』を聴いて、気持ちを落ち着けるほどです。その準決勝でもとつぜん心拍がうるさくなってきて、やっぱりスタートをミスる。もうその先は覚えてないですけど、それでも準決勝を勝ち上がった。そうなると緊張もほぐれて、決勝では4位になりました。

オレはゴールした瞬間、AA Proになりました。偶然なのか運命なのか、AA Proになったのは、中学1年の時に誓いを立てたオクラホマ、同じコースの同じレースでした。むちゃむちゃホッとしました。それまで、ずっと夜は寝れなかったんですけど、この日ばかりは泥のように爆睡できました。

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最終戦の2日目。おれはAA Proとして初めてのレースを走りました。一番最後に走る最高クラス、AA Proは、一番最後に並びます。前には、昨日まで自分がいたクラスのレーサーが並んでて、自分の後ろには誰もいない。それだけで、全然景色が違うんです。

今のオレには、世界トップになれるぐらいの飛び抜けたものは、まだ何もありません。ただ自分の納得するトレーニングを重ね、自分の理想である『先行逃げ切り』で勝てるよう、自信を高めていくだけです。

今年5月には、世界選手権が待っています。ここで、上位をとらないと、8月の北京、オリンピックという大舞台への出場枠さえ、日本にはありません。でも今のオレにできるのは、世界戦に集中すること。そしてその後のことはその時のこと。オレにとって北京というのは一つの通過点であり、そこで全てが終わるというわけではないんです。

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以上です。



 Nike 6.0は、こんな靴です。箱根の山越えでももちろん履いてましたが、難所『女ころばし坂』でもひき足がきちんと使えたぐらい、ペダルに喰いつきのいいソールでした。箱根の坂は、かかとで踏みこむのがいいんだぜ。

2008-04-11

ラファのカレンダー



ラファ』というイギリスの
高級サイクルウェアブランドがあって、
最近では、そのシンプルなデザインと、
ブランドイメージのすばらしさにより、
じわじわと人気が上がっている。

自転車方面だけでなく、
イギリスのアパレル関係の人々からも
「かっこいいよ」と勧められたこのブランドは
一人の編集者を雇っている。
ラファは、その彼が編集する
ルーラー』というロードバイクの雑誌を
(不?)定期的に発行している。

日本ではあまり出回っていないが、この『ルーラー』は、
クラシックなロードバイクの
レースシーンに関する記事を中心に、

ブランドロゴを撮るのではなく、
写真を撮った人が、その場その瞬間に感じた感動や心の震えを
伝えんがために撮ってしまったのであろう写真で構成される。
写真から伝わる心の波動は、時を越え誌面をまたぎ、
ロードレースにあまり興味のないボクですら、
存分に魅了する。

なんていうか、人間のするスポーツというスタンスでの
魅力を浮き彫りにするというか
そんな編集作業、誌面構成が行われている。
機会があれば、和訳してみたい雑誌である。

その『ルーラー』、というかラファがカレンダーを作っている。
ひょんなことから手に入ったこのカレンダーは、
ロードレースのシズリングな1シーンを
切り取った写真を並べており、例えば
ツォーの玄関に飾っておくのにぴったりである。

いまその4月のページは、こんなことになっている。

2008-04-09

とてもやらしい



なかまとよく行く山の中に、
とてもやらしい木があった。
A tree in our home trail,
this one is so naughty.

どうやらしいかというと、
こうやらしい。
How naughty?
This naughty.

2008-04-07

うぐいす



 朝、ツォーで仕事をしていると、うぐいすの声が聞こえる。ほーほけきょ。法、法華経。枕草子で言うところの「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは」あと忘れたけど、そんな感じである。

 なにせツォーの周りには、昔からの大地主や歴史ある建物などが多く、敷地使いに余裕があるので都心のくせして木々は多い。そこに仮の宿を構えたうぐいすが、やうやう白くなりゆくビルの狭間に法華経を唱えるのだろう。その日一発目の日本語練習テキストドリルにはもってこいのサウンド・ランドスケープである。

 うぐいすの鳴き声が朝だけでなく昼近くまで聞こえてくるようになると、近くの川沿いには桜が満開。人々は宴会_to_乱痴気_to_迷走_to_瞑想の、懲りることのないルーティーン。昨日も今日も明日もやって来る後悔と絶望の朝は、うぐいすのさわやかな法華経で目が覚める。今日こそヤラかさない、いやもう今日から呑まないぞといつも通り心に誓う自分を、励ましてくれているかのようでもある。

 しばらくたつとそんな桜も散り始める。散った花びらが川に落ち、どっかの天才画家がその天才をいかんなく発揮した絵に見えてくる。花の代わりに緑の息吹が勢いを増し、人々も新たな歳へと息を吹き返すと、うぐいすの声は聞こえなくなっている。どこにいったんだろう。じゃ、また来年。元気で戻ってこいよ。知らない国の知らない話を、ぞんぶんに聞かせてくれ。