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4月, 2008の投稿を表示しています

4コマ輪行

駅構内を移動する時は、絶対に転がさずに担ぐこと。 担いでさえいれば文句出ません。 担ぐのが輪行のルールです。

レイディーズ・ファースト

文化の違い、教育の違い、しつけの違い と言ってしまえばそれまでだが日本では、 エレベーターや、なにかの入り口ドアで 必ず、かならず 男の人が、女の人よりも先に出る。 女性は、男性の後を歩くもの、という 古き良き風習なのかもしれないけど、 欧米諸国から日本を訪問する女性は、 ここにたいてい驚くよね。 みんなドアにゴチゴチあたまをぶつけたり 男性とドッカン体当たりしたり。 交差点とかでさ、 クルマが必ず 自転車より先にでるのと、 同じなんだね。 2秒アクセル踏むのを遅くすれば スムーズにものごとが進むのに。

自由な死

「結局さあ、浩一郎(仮名)さあ」  と山田さん(たぶん55才)が言う。 「オレはこんなして自転車のグッズ作ってたり  NPOで自転車通勤応援したりしてるけどさあ、  最終的になにがしたいかって言うと、  老人が自転車にちゃんと乗れる社会を作りたいわけよ」  わかります。 「オレもさあ、もう少しで老人になるんだよ。  そうなったときにさ、ジイちゃんバアちゃんが  歩けないっつって、ただウチの中にいるのって  よくないんだよ」  ボクもそう思います。 「病院で死ぬと金かかるからさ、ウチで死にたいんだよ。  政府だってこの間、ウチで死ねばお金かかりません、  っていう法律を通したじゃん。だからさ、  やっぱみんながウチで死にたいって  思い始めてるんじゃないかと思うんだよな」  そうですよね。 「ウチで死ぬためにはさ、死ぬまできちんと歩けて  動けて、自由でいるためにはさ、今のうちから  自転車でも何でもいいから、動き続けていないと  カラダがボケちゃうんだよ」  その通りですね。 「気持ちいいじゃん。老人がさ、自転車カッ飛ばしてさ、  病院なんかで縛り付けられずにさ、  死ぬまで自由でいれるのって」

フルサス700C

 とかくフレームの素材がどうしたこうしたと語られる昨今ではあるが、まあアレだね。結局は自転車の走りなんて、ホイール径とタイヤのエアボリュームがおおかたなわけだから、ママチャリ、あるいは26インチ×2インチ程度の小さいホイールしか乗ったことない人が、舗装路バイクに使われる700Cサイズを履けば、羽が生えたかのように感じるのは当たり前。なので、フルサスバイクに700cホイールを履かせれば、これはもう街中じゃ無敵ですよ無敵。  ジャマするものは段差だろうがゴミだろうが飛び越えるし、タイヤは30Cぐらいと太めだから、路肩のアミアミ側溝も怖くない。フロントサス固めてリアサス柔らかく、後ろが軽くボトムアウトするぐらいにして乗れば、これはもうリア加重のカーヴィングマシン。パウダー・スノーボーディングあるいはサーフィンで後ろを踏みこんでRを作ってグイーンて曲がって伸びるあの感覚を自転車でもどうぞ、てなるわけで、そのくせ、座って漕げば羽が生えるし、危険な時にはディスクブレーキでズバッとジャックナイフして止まる。スキッドして180度なんて止まり方でもオシャレである。  そんな無敵っぷりを友だちに自慢しながら走ってた矢先にパンクした。しかも銀座のど真ん中、二度も。  マニュアルして縁石にリアタイヤを当ててその反動で飛んでイエーイ、みたいなことばかりしてた結果が、まったく見事なスネークバイト。自分が700Cタイヤを履いてたことを、パンクしてから思い出す。持ってた予備チューブに交換してヒコヒコ空気を入れ、さあ乗るぞとホイールをフレームに戻したとたんズバン! バーストした。  チューブがタイヤにかみ込んだまま空気を入れちまったようだ。まさに初歩中初歩のミス。生涯2度目のバーストだ。初めてのバーストのときもそうだった。友だちのパンクを直してあげて、ほらスゲエだろとエバった瞬間に爆発した。都心繁華街近くの住宅地だったため、ご近所中に窓からのぞかれた。ビデオ持ってでてきたヤツもいた。  予備チューブはあっても、パンク修理キットはない。ライディングをなめてかかると、こうなるのだ。備えよ常に。現場が銀座東急ハンズの近くであったことにちょびっと感謝しながら、銀座マロニエゲートのオープンと同時にハンズに突撃。その日最初のお客さんとなって、パナレーサーのイージーパッチ・キットを買う。これは張るだけのパッチだか

阪本“GAN”章史インタビュー/ブートレグ

 先の週末は< Rin Project >の山田さんと2人、『東海道中輪栗毛』(とうかいどうちゅう・Rinくりげ)なるプロジェクトをついにスタート。お江戸日本橋から走り始め、箱根の山を越えて静岡にたどり着いたところで、第一部を終えました。名付けて『感動の関東脱出篇』。感動的でした。この模様はそのうちどっかに書こうと思っているので、乞うご期待。第二部となる『怒濤の静岡横断篇(仮題)』は、ゴールデンウィーク後ぐらいに実行予定。  その前の週末は、スポーツグッズメーカー< Nike >のお手伝いをしておりました。《 Nike 6.0 》というアクションスポーツ用に開発されたシューズがあり、これを履くBMX&MTBライダーが飛ぶエアーショウ『 Nike 6.0 Ramp Gig '08 』というイベントが、いわゆる春の音楽フェスティバル『Punk Spring』と同時開催されていたのです。このRamp Gigの細かなコピー執筆をお手伝いする中で、Nike 6.0が全力でサポートするBMXレーサー、 GANこと阪本章史 のインタビューを執筆しました。  本チャンの文章は、 公式ウェブ に掲載され、またシューズショップ《 ABCマート 》で配布されているNike 6.0の冊子にも掲載されているので、そこで必ずご確認ください。  で、インタビューの時、GANはいろんなことを話してくれました。本チャンでは書ききれず、でもこぼれたままにしておくのはもったいないと思った言葉もたくさんありました。そこで、ブートレグとしてGANのインタビューを、つい書きました。Nikeを始めとする関係者各位からも了承いただけましたので、Nike 6.0 ライダー 阪本GAN章史のインタビュー/ブートレグ版を、ここに掲載します。 ==================================== 阪本 "GAN" 章史 Team: UN AUTHORIZED / NIKE 1982年生まれ。大阪出身。8才でBMXコースを普通の自転車で走り始め、1年後に念願のBMXを手に入れる。その後日本のトップレーサーとして数々の優勝と実績を積み重ねる。2006年、アメリカBMXのトップクラス、ABA/AA Pro(ダブルエープロ)レーサーに昇格、現在はABAレースを中心に戦い続ける。一番

ラファのカレンダー

『 ラファ 』というイギリスの 高級サイクルウェアブランドがあって、 最近では、そのシンプルなデザインと、 ブランドイメージのすばらしさにより、 じわじわと人気が上がっている。 自転車方面だけでなく、 イギリスのアパレル関係の人々からも 「かっこいいよ」と勧められたこのブランドは 一人の編集者を雇っている。 ラファは、その彼が編集する 『 ルーラー 』というロードバイクの雑誌を (不?)定期的に発行している。 日本ではあまり出回っていないが、この『ルーラー』は、 クラシックなロードバイクの レースシーンに関する記事を中心に、 ブランドロゴを撮るのではなく、 写真を撮った人が、その場その瞬間に感じた感動や心の震えを 伝えんがために撮ってしまったのであろう写真で構成される。 写真から伝わる心の波動は、時を越え誌面をまたぎ、 ロードレースにあまり興味のないボクですら、 存分に魅了する。 なんていうか、人間のするスポーツというスタンスでの 魅力を浮き彫りにするというか そんな編集作業、誌面構成が行われている。 機会があれば、和訳してみたい雑誌である。 その『ルーラー』、というかラファが カレンダー を作っている。 ひょんなことから手に入ったこのカレンダーは、 ロードレースのシズリングな1シーンを 切り取った写真を並べており、例えば ツォーの玄関に飾っておくのにぴったりである。 いまその4月のページは、こんなことになっている。

とてもやらしい

なかまとよく行く山の中に、 とてもやらしい木があった。 A tree in our home trail, this one is so naughty. どうやらしいかというと、 こうやらしい。 How naughty? This naughty.

うぐいす

 朝、ツォーで仕事をしていると、うぐいすの声が聞こえる。ほーほけきょ。法、法華経。枕草子で言うところの「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは」あと忘れたけど、そんな感じである。  なにせツォーの周りには、昔からの大地主や歴史ある建物などが多く、敷地使いに余裕があるので都心のくせして木々は多い。そこに仮の宿を構えたうぐいすが、やうやう白くなりゆくビルの狭間に法華経を唱えるのだろう。その日一発目の日本語練習テキストドリルにはもってこいのサウンド・ランドスケープである。  うぐいすの鳴き声が朝だけでなく昼近くまで聞こえてくるようになると、近くの川沿いには桜が満開。人々は宴会_to_乱痴気_to_迷走_to_瞑想の、懲りることのないルーティーン。昨日も今日も明日もやって来る後悔と絶望の朝は、うぐいすのさわやかな法華経で目が覚める。今日こそヤラかさない、いやもう今日から呑まないぞといつも通り心に誓う自分を、励ましてくれているかのようでもある。  しばらくたつとそんな桜も散り始める。散った花びらが川に落ち、どっかの天才画家がその天才をいかんなく発揮した絵に見えてくる。花の代わりに緑の息吹が勢いを増し、人々も新たな歳へと息を吹き返すと、うぐいすの声は聞こえなくなっている。どこにいったんだろう。じゃ、また来年。元気で戻ってこいよ。知らない国の知らない話を、ぞんぶんに聞かせてくれ。