朝、ツォーで仕事をしていると、うぐいすの声が聞こえる。ほーほけきょ。法、法華経。枕草子で言うところの「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは」あと忘れたけど、そんな感じである。
なにせツォーの周りには、昔からの大地主や歴史ある建物などが多く、敷地使いに余裕があるので都心のくせして木々は多い。そこに仮の宿を構えたうぐいすが、やうやう白くなりゆくビルの狭間に法華経を唱えるのだろう。その日一発目の日本語練習テキストドリルにはもってこいのサウンド・ランドスケープである。
うぐいすの鳴き声が朝だけでなく昼近くまで聞こえてくるようになると、近くの川沿いには桜が満開。人々は宴会_to_乱痴気_to_迷走_to_瞑想の、懲りることのないルーティーン。昨日も今日も明日もやって来る後悔と絶望の朝は、うぐいすのさわやかな法華経で目が覚める。今日こそヤラかさない、いやもう今日から呑まないぞといつも通り心に誓う自分を、励ましてくれているかのようでもある。
しばらくたつとそんな桜も散り始める。散った花びらが川に落ち、どっかの天才画家がその天才をいかんなく発揮した絵に見えてくる。花の代わりに緑の息吹が勢いを増し、人々も新たな歳へと息を吹き返すと、うぐいすの声は聞こえなくなっている。どこにいったんだろう。じゃ、また来年。元気で戻ってこいよ。知らない国の知らない話を、ぞんぶんに聞かせてくれ。