2010-06-25

さすがに怒られるか。

五木寛之 著 『大河の一滴』(幻冬舎 刊) P111後半〜P112まで。

『たとえばサッカーだとか、あるいは野球だとか、オリンピックだとか、あるいは競馬とか、こういうものに熱中する人々を見ててい感じるのは、人間というのは、たったひとりで生きているのではなく、多数の人間との一体感を求めて生きているのだなということです。

みんなが、一つの試合とか、スポーツの行方に対して一喜一憂しながら、つまり他人が二人とか三人でなく、百人、千人、万人という人たちが全部、なにか同じ心にとけあって、いまここに存在しているーー熱い興奮がそこにあって、それを求めて人々はスポーツに熱中するのではないか。ぼくはそんなふうに思います。

どんなに経済的に恵まれ、どんなに健康に恵まれ、あるいは幸せに生きていたとしても、孤立している人間というのは、生きているときに本当につらいものなのです。生きていることが喜びと感じられない。そこへ忍び寄ってくるのが、そのような、時代全体が高揚しているとき、その時代にも自分もいっしょに巻き込まれていく快感、あるいは興奮ではないでしょうか。そういうものがあるような気がして仕方がありません。

ファシズムとかナショナリズムとかいうもののきわどさは、そのへんにあるような気がします。いくら、そういうものがまちがているといったところで、人間は頭だけで動くものではありません。そして、物でもなく、頭でもなく、利益でもなく、自分と他人とが一体になって、燃えるような興奮の中にいる、というような状況を一度味わった人間は、その病から免疫を得ることはできないのです。』

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フィーバーしようぜ。サッカーフィーバーのあとは、レーシング、フィーヴァーーー!