2009-12-27

I wanted born to follow.



 どうやら昨今ベストセラーらしい。ボクの日本語をたたき直してくれ、自信をくれた人でもある人の著作。

 この本は最初の6ページをぜひ日本の皆さんに読んで欲しい。ボクが大きくなったら(約2.5m)教育の道に進べく志しているのは、こういう理由である。1984年の本だ。25年経っても、なにも変わっていない。制度も、社会も、意識も。

 ボクもまねしてリブログ。ソーシャルなんとかが主流となった現代社会では、リブログとやらの著作権的なことはどこまで許されるのか。

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グライダー

 勉強したい、と思う。すると、まず、学校へ行くことを考える。学校の生徒のことでない。いい年をした大人が、である。

(中略)

 いまの社会は、つよい学校信仰というべきものを持っている。全国の中学生の九十四パーセントまでが高校へ進学している。高校くらい出ておかなければ……と言う。
 ところで、学校の生徒は、先生と教書に引っ張られて勉強する。自学自習という言葉こそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
 グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力ではトぶことができない。
 学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついていく従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。
 優等生はグライダーとして優秀なのである。トべそうではないか、ひとつトんでみろ、などと言われても困る。指導するものがあってのグライダーである。

(中略)

 こどもというのは実に創造的である。たいていのこどもは労せずして詩人であり、小発明家である。ところが、学校で知識を与えられるにつれて、散文的になり、人まねがうまくなる。昔の芸術家が学校教育を警戒したのは、たんなる感情論ではなかったと思われる。飛行機を作ろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもぐずぐずしていてはいけないのははっきりしている。
 いまでもプロの棋士たちの間に、中学校までが義務教育になっているのが邪魔だとはっきり言う人がいる。いちばん頭の発達の速い時期に、学校でグライダー訓練なんかさせられてはものにならない、というのであるらしい。
 人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分で物事を発見、発明するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力でトぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
 しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という“優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も“トベる”評価を受けているのである。
 学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。学校教育が設備されてきたということは、ますますグライダー人間をふやす結果になった。お互いににたようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。知的、知的と言っていれば、トンでいるように錯覚する。
 われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない。
 聞くところによると、植物は地上に見えている部分と地下にかくれた根とは形もほぼ同形でシンメトリーをなしているという。花が咲くのも地下の大きな組織があるからこそだ。
 知識も人間という木の咲かせた花である。美しいからと言って花だけを切ってきて、花瓶にさしておいても、すぐ散ってしまう。花が自分のものになったのではないことはこれひとつ見てもわかる。

 (中略)

 根のことを考えるべきだった。それを怠っては自前の花を咲かすことは不可能である。もっとも、これまでは、切り花をもってきた方が便利だったのかもしれない。それなら、グライダー人間の方が重宝である。命じられるままについて行きさえすれば知識人になれた。へたに自発力があるのは厄介である。
 指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育はむしろ抑圧してきた。急にそれをのばそうとすれば、さまざまな困難がともなう。
 他方、現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。それなら、グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。
 この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心がければよいかを考えたい。
 グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主が現れたからである。自分でトべない人間は、コンピューターに仕事をうばわれる。

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